Stopping by waterside
ここに映っている像は
わたしがその水辺に佇んで過ごした時間とは 別の貌をもっています
日々あたりまえに接しているもの
そのなかでも水は
眼でみているというよりも
触覚や聴覚
ときには嗅覚として
身体に刻まれていくことが多いのではないでしょうか
そのほとんどは無意識のひきだしにしまわれて
意識されることは少ないのですが
わたしはこの作品を通じて
そのひきだしを開け
すでによく認識しているとおもっていることを
いまいちど
別の角度から視つめることによって
わたしたちの身体に刻まれている“水の記憶”を
呼びさましてみたいと想うのです。
The image which is reflected in here
I have different with the time that I spent standing still in the waterside
I receive it commonly every day
In that the water
That look with eyes; more
The sense of touch and hearing
Sometimes as sense of smell
Is it often engraved into a body
The most are put away in the unconscious drawer, and is rarely conscious,; but I through this work
Open the drawer, I want to remind our body of "memory of the water" ticked away by squeezing up judging from a different angle.